沖に流されてから

虚構織り交ぜています

幾通りもの”大事にする”がある

誕生日に渡した少し高級なコーヒー豆。開封されずに、冷蔵庫の裏からホコリをかぶって出てきた時の寂しさ。そっとホコリを払い落し、黙ってキッチンに置きなおした。

 

少ない手取りに、副業で得た収入を足して買った香水。こちらも開封されずに机の上にうちやられていた。相手の好みから少しずれていたのかもしれない。今必要なものではなかったのかもしれない。さらに言えば購入のために費やした時間や苦労なんて、相手の知ったことではない。

 

贈り物なんて所詮自己満足だとは思うけれども、長い付き合いのある相手に渡したものが、こんなにも粗雑に扱われたという事実が、単純に私を悲しませた。その扱いからして贈った私自身も、相手にとって取るに足りない存在なのではー。そんな拗ねた考えも頭をもたげてきてしまった。

 

口では「大事にしている」と言う。行動はその言葉と相反しているように感じるが、それは私の想像の域を出ないので、腑に落ちない顔をして口をつぐんだ。

 

言葉を尽くしてわかったことは、相手にとっての「大事にする」と、私にとっての「大事にする」がそもそかけ離れていたということ。相手にとっては、ものを買い与えることが愛情の示し方(この書き方は意地悪だが、シンプルに言えばこういう言葉になる)。私は相手のことを考える時間を割くこと、喜びと悲しみを分かち合うこと。相手を観察することに重きを置いていた。

 

 

誕生日にメガネを買ってくれたことがある。店に着いたらさっさと椅子に座り、「好きなの選びなよ」と一言。

1人でざっと見まわして目星をつけて、「どれがいいと思う?」と聞いてもあなたはスマホを触るばかり。せっかくならね、一緒に選んでほしかった。このフレームがしゃれてるね、この形のほうがあなたに似合うねと、相手のことを思い選ぶ楽しみを感じていて欲しかった。お会計だけのプレゼントなんて、札束で頬を叩かれたような気分だった。

 

相手は違う人間だ。何事も私が期待する通りにはいかない。そんな当たり前のことはわかっているけれど、あなたなりの”大事にする”が、私にはとってはあまり嬉しいものではなかった。

 

言葉を尽くせば、認識の違いにたどり着ける。たどり着いた後に、その埋まらなさを痛感した。

対幻想を諦めたら楽になったけど

異なる人間が一緒に暮らすのだから、皿の洗い方ひとつとってもズレが生じてくる。4年ほど前に同居を始めてから、幾度となく生活の仕方や方針、価値観の違いをすり合わせ、互いに変えられない部分は折り合いをつけてやってきた。

 

大の大人なのだから最低限自分のことは自分でできるし、互いの歩み寄りによってなんとか心地いい暮らしを作ることができていた。長い付き合いの中で食の好みも把握して、仕事帰りに相手が好きそうなつまみや菓子を買って帰ることが、ささやかな幸せだった。

 

しかし子供が生まれてからは、そうもいかなくなってきた。生まれたばかりの赤子は、四六時中誰かが世話をしてやらねばならない。「自分の生活のペースを変えたくない」なんてスタンスでは、子育ては立ち行かないのだ。

 

今でも出産直後~数か月は、母親がメインの育児者にならざるを得ない家庭がほとんどだろう。実際うちでも夫が外で稼いでくれたおかげで、生活費を賄えていた。だからこそ、母親が育児や家事を多く担うのは致し方ないし、当然なのだろうと自分自身を納得させていた部分もある。

 

でも本当は、”一緒に”子供を育ててほしかった。寄り添ってほしかった。

毎晩続く夜泣きによる慢性的な寝不足、うまくいかない授乳、発育の心配。疲労やイライラは少しずつ溜まっていく。うまくおむつを着けてやれずに、夜中におしっこが漏れてベッドシーツから掛布団まで、まるごとはがして洗濯したこともあった。これでまた寝る時間が少なくなるー。

 

その辛さや大変さは、体験してみないと想像できないだろう。想像できないとはいえ、目の前でくたくたになっている妻を心配する気持ちが欲しかった。自分たちの意思でわざわざ夫婦になったのだから、大変な時はお互いに支えあいたかった。家族以外の友人知人とは異なる、特別な対でいたかった。

外で仕事をするストレスだってわかっているし、かつこちらが想像しきれないこともあるだろう。でも、親になったのは私だけではない。あなたも親になったんだよ。

 

1日1日、ほんの少し期待をしては失望し、寄り添う気持ちが欲しいのだと訴えてみても言葉が届かず、その繰り返しの中でついには関係を構築し続けることに疲れてしまった。気持ちをすり減らし愛情も薄れ、まるで祟り神のように憎しみや怒りに囚われてしまったせいで、夫なりの優しさに素直に目を向けられなくなっていた。

こんなありふれたすれ違いが、昔から何年も何年も繰り返されているのだろうな、と思いつつも、だからと言って辛さが和らぐわけでもない。

 

私が過剰に、私たち夫婦に対して対幻想を抱きすぎていたのだろう。ようやくそれに気づけたおかげで、怒りに振り回されることがなくなってきた。諦めからくる穏やかで、少し寂しい平穏だ。

 

対幻想を持てない夫婦っていったい何なんだろう。なんて味気ないんだろう。別れずに生活を続けていくのは子供を育てるため、それからやっぱりどこかで諦めがついていないんだろう。時間が互いの溝を埋めはせずとも、結婚当初とは形の異なる温かい関係をつくってくれるのではないか、と期待してしまっている。能動的にはもう動けないけれど。1人相撲はもうたくさんだ。

しおり

画塾の同級生が、立派に卒業制作をつくり、就職していく。SNSのフィードに上がってくる彼らの近況をみると、忘れていた気持ちが首をもたげる。胸がきゅうっと苦しくなって、そっと画面を閉じてしまう。

  

 

「高校を卒業して、美大に行く私」になりたかった。そこにさえ入れたら、ともに制作に励み議論を交わし、一生続くような友人が出来ると思っていた。当時好きだった人の影響も多分にあるけれど、でもそんなの、美大に限られた話ではなかったのだと気づくのは後になってから。文学でも哲学でも物理でも、共通する何らかの言語とそれへの熱量があればいい。寝食忘れる程、絵を描くのが好きなわけでもなかったことが悔しくて、それは自分にとって褒められる為のツールでしかなかった。

 

受験当時の衝動はすっかり消えているのに、未練がましい憧れだけが、抜け殻みたいに残っている。今書かずにはおれないこの寂しさを、これからも節目節目で繰り返して、時々反芻して噛みしめながら、いつか消化していくのだろうなあ。

貰った花

悪くない1日の終わり。

やるべき事を差し置いて、早々とベッドに入り、ぬるい紅茶を飲みつつ、頭を使わずとも読めるロードサイド小説に目を走らせる。

読み終える頃には眠たくなって、ちょうど日付が変わりそうな時間。

この時間まで飲んでいた友人から、次の食事の誘いがくる。

 

 

朝からめいっぱい活動したのだから、こんな夜の過ごし方でも罪悪感を持たずに済む。

人に大事に思われているという安心感を胸に、このまますうっと息を引き取ったら、とても穏やかな死に顔を残せそう。

 

あと六時間もすれば、また目を覚まして電車に揺られて会社に行く。
早々に寝て、金曜日に残した仕事を済ませよう。

 

「皆表現せねば生きていられないのだ」

一人で暮らしていくのは非常に寂しい。賑やかなテレビを消し、夜も更けた頃、しんしんと冷えるワンルームはとても静かだ。こんな日は、インターネットのある時代に生まれてよかったと、いつにもまして思える。

好みの文章を書く人たちの、各々のページを回遊する。選ぶ言葉だけで、顔も性別も生い立ちも知らない人を好きになれる。(寧ろ人と対峙するときには、持って生まれた外見や所属は、勘定に入れないようになりたい)お気に入りの書籍が同じだと知り、少し満足して、ぼんやりと寂しさを紛らわして寝る。良い文章だけを求めるのなら本で十分だけど、今同じ時間に、どこかの喫茶店で、道で、すれ違う可能性のある人たちの言葉であることが、ちょっとロマンチックじゃないか。

 

 

数年に一度、感受性の器がいっぱいいっぱいになる時期がやってくる。どんな小さな事柄にも心が揺らぎ、他人から受けた様々な親切に泣く。センター試験が終わり、絵を描くしかなくなった頃がちょうどそのタイミングだった。講評で褒められては目を赤くし、画塾に行く日は、泣いてしまわないように堪える癖がついた。

 

それを見て、「そういう時期はあるのよ。いつもは空のコップに、いっぱいに水が入ってしまっているのよね。少し水滴が落ちただけで、表面張力が崩れちゃうみたいに、涙がでてくる。悲しいわけじゃないのにね。」と言ったのは、岡本先生だったように思う。

 

近頃はそんなふうに、コップがいっぱいになってしまう事がない。

とはいえ、会社で、電車で、道端で、急に泣いてしまうと私が困るので、胸がいっぱいになってしまわないほうが都合がいい。高校生の頃にみた、昼下がりの裏道で声をあげて泣くOLには、どんな事情があったんだろう。

アパートの部屋に入って安心したら、脈絡もなく、にやにやしたり歌ったり、泣いてみたりする人はきっと沢山いる。

 

週に一度、日記を書いて、二度、5キロを走ると決めた。一昨年の夏に、「あなたの書く文章が好きだから、続けてね」と言ってくれた先輩の日記は消えていた。

質問

台湾料理を食べながら、

「多幸感を感じるときはいつか」と聞かれた。

よく使う質問なのかな、と思ったけれど

その質問に対する答えを考えるだけで、少し幸福な気にさせてくれる、いい質問だなあとも思った。

 

美味しい料理をほおばった時、平日の夜に本を読む時、

近所のジャスミンが香る時、色々あった。ありきたりだ。

大学生の頃、業務スーパーでこれから作るメニューの話をしながら、

野菜を買うのも好きだった。

 

遠回りだからいえること、抽象的にする事

昨夏、ヴェネチア・ビエンナーレの報告会に行った。
田中功起さんと蔵屋美香さんが座る会場には、300人程が集まっていたと思う。知った顔もちらほらいた。

 

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引用元:http://www.parasophia.jp/events/a/koki-tanaka-mika-kuraya/

 

予定時間を過ぎた二時間半越えの報告会では、田中さんがビエンナーレ出品作家に選出されるまでの経緯・作品について・日本館をどう構築したか、を順序だてて説明してくれた。けれどもビエンナーレを観に行った11月下旬には、私たちは聞いた話の大半を忘れてしまっていた。
下の内容はお二人の言葉のままではなく、私がとったメモなので、ご本人の見解ではない。

 

 

■作品のメディウムについて

ビデオは記録に適したメディウムである。

ビデオというメディウムが普及した現在では、作品においてビデオの形式性は背景・裏方にまわった。その場で起きたことを自分がどのように見て、捉えたのかが作品となる 。同じ出来事を表すにしても、写真、文字、録音、映像、によってそれぞれの見え方があり、出来ごとの経験の差だけではなく、その記録の経験の差もある 。記録する方法は、必ずしもビデオでなくてもいいが、より即物的に試すことが出来るのでビデオを使って作品をつくっている。 youtube、展覧会、映画館、みる場所によっても違いがでる。映像全編を見る人は少ないので、以前の映像作品では、 一直線のリニア(そのまま、時系列に編集すること?)ではなくパラレルな時間の捉え方をした。瞬間的にわかるものにしたり、映像がループする作品をつくっていた。分かりやすいタイムラインに編集する必要性がある。
※田中さんの「Each and Every」 と、ヴィト・アコンチ「Digging Piece」 を観る、とのメモあり

 

Each and Every from Koki Tanaka on Vimeo.

引用元:http://vimeo.com/35412097

 

 

■過剰なサービスをやめる事がサービス

生まれて間もない子どものように、自分達が先入観をもつ前の状態、既知の感覚を確認する行為によって、 日常をアートにする。 何か見つけたこと・気づいたことを作品にする。「これって面白いでしょう」って気持ちを削った方がより伝わり、サービスとなる 。田中さんの初期の作品は、物が転がったり落ちたりする日常をシンプルに捉え、その動作に付随する音がするだけ。一切の説明がないから「訳がわからない」と評される。あらゆるテレビ番組でセリフにテロップまでつく、過剰ともいえるサービスに慣れた私たちにとって、田中さんの作品はかなり刺激的。何気なく見過ごす日常に改めて目を向け、ありのままに見せてくれる。例えば、駅の階段上り下りする時、必ず左足から踏み出すとか、必ず9の倍数で上り終えると気分がいいとか。そういう、くだらな過ぎて馬鹿にされそうな、日常の密やかな心のより所を暴かれたような心持ちになる作品がある。

 

「自己表現は自己満足であって、アートではない。」という意の発言もあった。僕の内面・心情を表現しています、という作品よりも、今目の前にある事象を、僕はこういうふうに切り取り再編集しました、というように、提示の仕方にオリジナリティがある作品のほうが面白そう。視覚的に美しいものだと尚更観たい。

 

 

■概念の有無

「誰かのガラクタは、誰かの宝もの」(映像作品)は、道端で拾ったヤシの葉をフリーマーケットで売ろうとしたもの。

”僕はきっとそのとき「もの」を売っていたのではなく、そこに生じるコミュニケーション、あるいはそのアイデアやストーリーそのものを売っていたのかもしれません”

 と田中さんは言っていた。

このくだりで、概念を取り入れ表面以上の意味を持たせているかどうか、そこがイラストレーターと画家の違いかもしれない、との発言もあった。

 

■共同に含まれる「醜さ」

共同することには、ある意味「醜さ」が出てくる。

中国で撮影された五人の陶芸家の映像では、共同作陶が上手く進まず、各々の陶芸に対するスタンスの違いが顕になる。ほんの少しの違いであっても、自分が良いと思うものをつくるか、又は人に良いと思われるか(大衆に受け入れられるもの?)において次第に対立してしまう。 五人が「芸術とは何か」を話はじめるようになり、陶芸とは?自分がやってきた芸術とは?というしんどい問題に近づいてしまう。

 

東日本震災を受け、人がどう共同するか、が日本館のテーマになった。「共同」と聞くと一見美しい行為のように思えるが、交渉と妥協が生まれることによっての醜さがある。 コラボレーションにも、交渉と妥協の両方が含まれる(その醜さこそが人間そのものなので、一回転して美しい事ではあるのだけれど)。

 

 

■日常性から社会や人間のあり方を考える

一時的にあつまった人達が何かー不安定なタスクーをやるビデオ を見て、何か足りないと思った。震災における当事者性、場所・時間の距離感(グラデーション)が作品のヒントになるのではと感じた。福島の経験はベネチアの人にとっては遠い事であり、当事者性はない。また、震災直後とは違う言及の仕方で未来の人にも伝わるように「共同(における失敗)」を抽象化した。

 

日本人といえば、今は明確なキーワードとして震災がでてくるかもしれない。けれどあの震災だけが問題ではなく、また日本だけの問題ではない。

 

”僕たちが捉えたリアリティを、関わりのない人と共有するには抽象性が有効なのでは”

と考えたそうだ。震災に関する具体的なものを扱うと、「かわいそう」といった感想で終わってしまうだろうが、抽象化する事によって、各々が自分の問題として読み込むことが出来る。抽象の隙間に自分の問題を反映できる。震災を入口にしなくても伝わる事がある。曖昧であることによって、やっと「外側」の人たちと共有できる場を得られた。

 

ビエンナーレでは、共同における失敗への考察が評価され、受賞につながった。

審査員は30~40代で、ディレクションをしたジオーニも30代と若い。賞には明確な基準「拡張している現状をオリジナルな視点で捉えていること」があったそうだ。

 

 

 

一通り話が終わり、質疑応答に移ったとき、初老の男性が質問した。

「なぜ、震災の様子をわかりやすく伝えないのか、今こそ大和魂を伝えるべく頑張らねばならない云々・・・」と、朗々とした口調で述べる様子に、みんな気圧されると同時に、今日の話の中で語られた「抽象性」は一体どこにいってしまったの?と思っていたはず。

この時行われた田中さんと男性のやりとりによって、この報告回のキーワードが「抽象性」であった事が印象づけられた。遠回りをして伝えることの効果を面白く感じ、有用な方法だと感じる人は、彼の映像作品の抽象性の隙間に、自分自身の問題を反映する。共同作業の困難さを見る。

質問したおじいさんは、震災というトピックを直接的に見せて、共同作業が行われている日本は素晴らしいぞ!という事を国外に向けて発信して欲しかったのかな。あの作品の趣旨、共同作業の失敗という部分からして共感していなかったのだろうな。

 

 

どのトピックについて語られていた時の言葉だったか、「集団の中での役割と自分本来の姿がわからなくなる」というコメントは今の自分にも置き換えられる話だった。

後は クレア・ビショップの論文「関係性の美学」を読んでみること。