沖に流されてから

虚構織り交ぜています

ラースと、その彼女

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映画.comより)

ラースと、その彼女」を観た。
町の人からMr.サンシャインと呼ばれるほど心優しい、内気な弟が、兄夫婦に「彼女ができたんだ」と紹介したのは人間でなくラブドールでした、という話。脚本が面白そうだと思って借りた。けれどライアン・ゴスリングの演技を見たことに一番満足した。「ブルーバレンタイン」でも、結婚当初からの時間の経過をあらわすため、格好よく鍛えた体もたるませ、毛髪も抜いていた。見るたび全然違う役だ。
 
「ラースと…」では心を病んだ主人公を、周りの人たちは温かく受け入れてあげる。人形のビアンカ(彼女)に、洋服屋のショウウィンドウでの仕事を与え、ボランティアの場も与えたりする。舞台が田舎の町であること、ラースが元々皆に愛される優しい青年であったこと、兄夫婦の協力、があってこそだとは思うんだけど、どうにも優しすぎるコミュニティが出来すぎていて、感情移入できなかったなあ。人形が意思を持って動き出す「空気人形」の方がファンタジー色が濃いはずなのに、登場人物のドライさが私にとって、より現実的だった。映画は創作物だし、その虚構性を楽しみながらも心の機微にはリアリティを求めてしまう。元々この映画を借りた時には、ラースと社会のミスコミュニケーションの問題を主題においているのかな?と思っていただけに描かれていた人間愛にはピンとこなかった。ラースのキャラクターには嫌なところがひとつもなく、後半顕になってくるマーゴへのピュアな気持ちも素敵。周囲の優しさも全く押し付けがましくなく、気持ちよく見ることができた。私の人生経験が乏しいから、まだこの映画に出てくる人たちの温かさを理解できないのかもしれない。今はどちらかというと「空気人形」で板尾創路たちの演じた人の生々しい部分のほうが好きだ。
 
ラースがビアンカに抱いた関係性の幻想は、人間と人形、機械の間だけに起こるものではなくて人間同士の関係にあっても同じ「理想の他者」への欲求がある。「ルビー・スパークス」では、主人公カルヴィンの思い描く女性「ルビー」との決別が話の筋だった。ラースもカルヴィンも弟で、その弟を心配して見守る兄がいる、って設定が同じ。
 
 

途中、ラースがビアンカに語りかける「It's scientifically proven that everyone's favorite word is their own name so if you just say their name a lot you can see it's gonna make them happy」という台詞、 細かく訳すと、「人間が一番好きな言葉は自分の名前だという事は科学的に証明されているから、誰かの名前をいっぱい呼んであげるとその人を嬉しい気持ちにできるんだよ」 だそう。ちゃんと相手の名前を呼ぶって大事なのね