沖に流されてから

虚構織り交ぜています

(500日)のサマー

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映画.comより)

 「(500日)のサマー」を観た。 トム役ジョセフ・ゴードン=レヴィットは「インセプション」のアーサー サマー役ズーイー・デシャネルは「ハプニング」のアルマ 両者ともキャラクターが全然違うので後半まで気がつかなかった。 トムは決定的な出会い、いわゆる運命の恋人の存在を信じているのに対して、サマーは愛情なんて明日にでも変わるかもしれないのだから、彼氏をつくる気はないという(大体同じ主旨)。最終的に、その互いの恋愛に対する考え方が逆転することに救われたような気になった。

 「テイク・ディス・ワルツ」と「ブルー・バレンタイン」も今観るにはちょうどいい内容だった。先の事はわからず、心が移ってしまう事に対して自責の念を抱いたところでどうしようもない。通い慣れた道の風景や人間関係、習慣に対する喪失感は、進学や転居による環境の変化にも似ているかもしれない。高校はよかったとか大学はよかったとか、そういう人がいるように、思い入れがつよい出来事が多いほど、色んな喪失感を得ていくのかな。 上記2本主演のミシェル・ウリィアムズが、最終的にハッピーになる映画を観たことがない。どちらも夫から心が離れていく妻の役で、「ブロークバック・マウンテン」では、夫が彼と戸口でこそこそと抱き合う様子を目にしてから離婚に至るまでの表情が印象に残っている。

 「(500日)のサマー」はサンディエゴ映画批評家協会から編集賞を受賞していた。トムの500日間を行きつ戻りつしながら、映し出される心の変化はテンポがよくて飽きなかった。編集賞ってどうやって判断されるんだろう、と思って検索すると、知恵袋に同じ質問が(アカデミー編集賞について)。大規模な映画になればなるほど分業でなければ作れないけど、監督に編集の全権が与えられている訳ではない事がある、というのは意外だった。編集によって、映画全編を通してのイメージを大きく変える事もできるから、あまりに監督の意向と異なった編集になった場合はクレジットを変更する事もあるらしい。ズーイー・デシャネルの瞳が綺麗な青だから、劇中のサマーの衣装には青を沢山とりいれたらしい。本当に青色がよく似合っていた。